伊勢は永遠の聖地ですね
そう言って下さった方がいます。
聖地とは太古から脈々と続く祈りの場。
なぜ人は伊勢神宮を敬愛し求めて向かうのでしょう。
その答えを知るには、実際に伊勢に来て神宮を参拝されること。
伊勢神宮を「体感」する、そして「心感」することで伊勢神宮に惹かれた理由が実感できます。
伊勢神宮は神社のなかの神社だといわれてきました。
正式名称は「神宮」です。
伊勢神宮が特別な理由
伊勢神宮が特別だと目に見えて感じられることのひとつとして、まずどの神社にもありる狛犬(こまいぬ)が内宮と外宮にはおりません。そしておみくじもありません。
もともと狛犬とは外の世界からやってくる邪なモノを入れさせない門番のような存在です。伊勢神宮は、神気が満ちあふれた聖地であり、そもそも邪なモノが入れない場所。門番はいらないのです。
伊勢神宮を歴史的にみると
伊勢神宮を歴史的にみると、神社の成り立ちからみえてきます。古き時代には神社はありませんでした。
祭事や神事をする際は、山奧など人の住まない汚(けが)れのない土地で神事の準備をして神さまに降臨していただき、神事が終わればまた神さまにお帰りになっていただき、準備していたものすべてを燃やすなどして自然に返していたといわれています。その後、いつでも神さまにいていただこうとしてお社が建てられるようになりました。
最初は山の頂上などに建てられていましたが、冬でも参拝したいと思う人たちが里にもお社を建てたもの、それが現代に残る、神社だとされています。ちなみに山のお社は奥宮で里のお社は里宮といわれています。
古来、神社の多くは人々の思いから建てられたものだと言えます。家内安全、五穀豊穣などさまざまな願いをお聞き届けてもらうための神社です。神さまにお願いして建てさせていただいたお社が神社の成り立ちです。
伊勢神宮は自らが鎮まる土地を選び、建てられた神社
最初は皇居にて天照大御神さまを祀っていましたが、天皇のお言葉で天照大御神さまを豊鍬入姫命に託し、現在の檜原神社に祀らせた後、天照大御神さまを祀る場所を探し求めて各地を移動しました。その後、天照大御神さまの祭祀を皇女の倭姫命に託したと「元伊勢伝承」にあります。それからも各地を歩いて探し求めて、各地に臨時的に祀った社が今も残り、元伊勢と呼ばれています。
そんなある日、神さまがこの地に留まりたいことを告げられたのが今の伊勢市となります。伊勢市こそが神さま自らが選んだ土地で、伊勢神宮が建てられた土地が聖地であると言われる由縁です。
伊勢神宮はもともと、天皇が参拝するためのお社でしたが、江戸時代以降からお陰参りとされる神社参拝が盛んになってきました。当時の日本では、一般庶民の移動、特には農業をする人たちの移動には厳しい制限がありましたが、伊勢神宮参拝に関してはほとんどが許される風潮がありました。商業をする人たちの間では、伊勢神宮に祭られている天照大御神は商売繁盛の守り神とされていましたので、奉公人が伊勢神宮に参拝したいと言い出した場合には、店の主人はこれを止めてはならないとされ、主人になにも告げずにこっそり参拝の旅に出ても、伊勢神宮参拝をしてきた証となるお守りやお札などを持ち帰れば、おとがめは受けないことになっていたといわれています。
日本に言ったら必ず伊勢に参拝に行きます
現代でも、ブルガリアで世界一の超能力者だといわれるベラ・コチェフスカ女史が来日して、「自分の前世は日本人でした。今から10年ほど前から伊勢神宮のヴィジョンを見続けてきました。日本に行っ たら必ず伊勢に参拝に行きます」とお話しており、 実際に来日時にはまっ先に伊勢神宮を訪れています。
外宮で参拝を終えたあと、彼女が急いで向かったのは外宮の別宮にあたる「多賀宮」でした。彼女は多賀宮の前に進み出ると、感極まったように膝を折り、ぬかずいて祈りました。ただならぬ神気が周囲を包み込んでいたとされています。 祈りを終えた彼女は、顔中を涙でぬらしていたといわれています。
なぜ人は伊勢神宮を目指すのか?
それは伊勢神宮には偉大なる神さまがおられるから。
そして、参拝した人たちにすべて神の光をあたえ、人生にも太陽のような輝きをあたえてくださるからです。
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